世界の野球を知れ!

「日本の野球のために、世界を知れ!」 世界を知ることが日本野球へ貢献する

2021年10月31日にロッテの鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表しました。

鳥谷選手は2004年に阪神に入団し、正遊撃手として長く活躍してきました。
2017年9月8日の甲子園で2000本安打を達成し、2020年にロッテに入団。
2シーズンを終えて、通算2099安打、とうとう18年間の現役生活に別れを告げます。

この報道に対し、鳥谷選手の早稲田大学の大先輩である広岡達朗氏はこうアドバイスしたのです。

「阪神で活躍したのだから、阪神で終わればよかったとは思うが、大事なのはこれからだ。評論家になるにしろ、指導者になるにしろ、まずは〝世界一周〟すること。米国やヨーロッパ。そこで感じる〝空気〟が人を成長させる。通訳をつけず一人で回って勉強すれば、必ずプラスになるはずだ。今後は人を育てることが鳥谷の使命だし、そういう存在になってくれれば、うれしい」と。

●広岡達朗氏と「世界」

広岡達朗氏(参照:https://www.sanspo.com)

広岡達朗氏は、知る人ぞ知る、鳥谷選手と同じ早稲田大学を卒業後、同じく遊撃手として読売ジャイアンツで活躍した方です。 新人王を獲得し、ベストナインにも選ばれています。

現役を引退したあとに、彼は自分の野球理念が正しいかどうかを確かめるため、アメリカに渡って、メジャー・リーグを視察しに行きました。

サンフランシスコ・ジャイアンツに続き、ロサンゼルス・ドジャースを訪問。 ドジャースのキャンプ地であるフロリダでは、ドジャー・タウンに足を運びました。

そして、1973年にヤクルトスワローズに守備コーチとして要請され、ヘッドコーチ、監督と昇格していきました。

監督になってから、広岡氏は早速、メジャーリーグのようなローテーションを確立し、5人で先発を回し、チームを球団史上初のシーズン2位に導いたのです。

参照:https://www.jiji.com/

そして、基礎体力が充分でないと判断し、ドジャースタウンで見た立派なトレーニング施設を参考に、専門家の指導によるウエイトトレーニングを導入し、球団史上初の海外キャンプも実施することにしたのです。 そして、その結果、チームは悲願の日本一に輝きました。

広岡氏の貢献はそれだけには留まりません。 アメリカに比べて日本は指導者育成の場が少な過ぎると考え、1988年に「ジャパンスポーツシステム」を設立し、アメリカの著名選手や球団経営者を招いて勉強会「日米ベースボールサミット」を開催したのです。

これは1990年まで3回の実施でしたが、MLBコミッショナーや元指導者、また、現役監督や選手が来日し、日本からは広岡氏をはじめとして張本氏などが参加して議論を繰り広げたようです。 しかも、後に日本人メジャーリーガーとして名をはせた野茂英雄氏などがプロに入る前、アマチュア選手として参加し、実技指導を受けました。

また、「ジャパンスポーツシステム」は日本人選手の受け入れを目指してアメリカのマイナーリーグ球団の経営にも乗り出し、1990年にはトロント・ブルージェイズ傘下3Aのバンクーバー・カナディアンズを買収しました。

さらに、1994年には広岡氏は千葉ロッテマリーンズのゼネラルマネージャー(GM)に就任し、日本球界初のGM制度を開始したのです。

このように、鳥谷選手に「第二の野球人生を歩む前に世界を見てこい!」と言うのには、広岡氏の実体験と実績があるからなのです。

●世界をみて、日本野球へ貢献する人々

世界を見てきたからこそ、日本の野球の良いところも悪いところも分かる人達がいます。

① 阪長友仁さん

(堺ビッグボーイズ監督)

阪長友仁さん

阪長さんは、新潟明訓高校で夏の甲子園大会に出場し、その後は立教大学の硬式野球部で主将も務めました。大学卒業後は、旅行会社JTBに入社したのですが、「野球界に何か貢献したい」という思いから2年で退職し、野球普及活動をするためスリランカやタイへと渡り、ナショナルチームのコーチを務めました。

そんな中、アフリカのガーナ、ナショナルチームの指導者の話が舞い込み、ガーナ代表監督を務め、その後、青年海外協力隊としてコロンビアで2年間、野球の普及にも努めました。
一度野球から離れ、中米・グアテマラに赴任しましたが、そこで、カリブ地域の野球を見る機会があった際に、ドミニカ野球に魅せられました。

参照:https://toyokeizai.net

帰国後、阪長さんは、ドミニカで見た野球を日本の指導者に伝えるために2014年から講演活動を始め、同時に堺ビッグボーイズの指導者としての活動を始めています。
阪長さんの思う日本野球がドミニカ野球から学ぶべき点は2つです。 ひとつは、「長期的視点からの野球」で、もうひとつは「指導者のフラットな目線」だそうです。

日本では当たり前のことが世界では当たり前でない、そして、日本の野球の練習方法が決して正しいとは限らないことを教えてくれます。

② 立花龍司さん

(コンディショニングコーチ)

参照:http://tsukubaway.com

立花さんは、近鉄での野茂英雄への指導など、日本プロ野球における合理的トレーニングの先駆者として有名な方で、自分自身が野球経験者であり、かつ、現在の野球界にも多大に貢献されている方のひとりです。

立花さんは、強豪の浪商高校野球部に入部し、過度な練習によって右肩を痛めました。 しかし、痛みをこらえながら大阪商業大学に進学し、野球を続けましたが、肩の痛みが取れることなく、大学3年時に現役続行を断念せざるを得なったのです。

年齢の若いうちに選手生命が絶たれた自らの苦い経験から、「合理的なトレーニングの実践が重要」だと考え、大阪商業大学に在籍しながら天理大学体育学部でスポーツ医学の単位を取得。 大学卒業後はスポーツ医学研究所へ就職し、トレーニングやリハビリテーションの実践を経験しました。

その後、近鉄バファローズのコンディショニングコーチとして契約し、アメリカなどの最新トレーニング理論を導入して、従来の「走り込み・投げ込みを徹底させる長時間練習」を止めさせました。 当時は画期的な試みであったため、コーチ陣から反発が多かったようですが、負傷者の減少など効果が出たため、当時の仰木監督や選手の間で高く評価されたようです。

特に近鉄へ入団したばかりであった野茂英雄選手からの信頼は厚く、立花さんもまた、毎年自費で渡米して、メジャーのトレーニングやリハビリを学んでいきました。 近鉄バッファローズを退団したのちは、執筆と、日本全国の社会人野球、大学野球を中心に指導にあたり、その後、千葉ロッテマリーンズへ。 アメリカ人監督のボビー・バレンタインから信頼され、チームの2位躍進に貢献し、オフシーズンには今度はキューバに短期留学をしました。

千葉ロッテを退団後はメジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍し、日本人初のメジャーリーグコーチとなりました。 帰国後は、千葉ロッテに復帰したり、楽天イーグルスにてコンディショニングディレクターをしたりと、日本のプロ野球界に大きく貢献しています。

③ イチロー鈴木さん

(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)

参照:https://www.asahi.com

誰もが知っている米大リーグのマリナーズなどで活躍したイチローさん(鈴木一朗さん)は、2019年、高校や大学の指導をする「学生野球資格回復制度」の認定を受けるための研修会に参加し、資格を得ました。 元プロ野球関係者が高校生や大学生を指導するためには学生野球資格を回復することが条件ですが、回復したとしてもプロ球団を離れなければ指導はできません。イチローさんは現在もマリナーズで球団会長付特別補佐兼インストラクターを務めているため、基本的には認められないのですが、功績などが考慮されてシーズンオフのみ特例で指導が認めらました。

これによって、イチローさんは学生との接触が可能となり、1年後の2020年の末(シーズンオフ)に、高校野球の強豪である智弁和歌山の選手たちを指導したのです。

練習へ参加は3日間のみで、イチロー氏は初日に選手の動きを見て内容を考え、2日目からさまざまな助言をしたようです。例えば、走塁練習では、「動きはシンプルな方がいい。(盗塁は)スタートで全部決まる」と細かく指導しました。また、打撃練習では、実演をしたところ、柵越えの当たりを連発し、選手からはどよめきが起こったようです。

参照:https://mainichi.jp/

このように、イチローさんは、日米通算4367安打した日本とアメリカ(MLB)にて得た技術や経験を惜しげもなくこれからの世代の野球人たちに伝えました。

選手にとっては、この指導の影響が大きかったのでしょう。夏の甲子園2021年(第103回全国高校野球選手権大会)では、見事に智辯和歌山が優勝したのです。

たったの3日間の指導だけが優勝に導いたわけではなく、日々の練習があるからこその結果なのですが、こうした世界を知っている一流の元メジャーリーガーが、日本の野球選手たちに触れ、指導することがどれほど大きなことかを智辯和歌山の選手たちが体現してくれました。

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