大谷翔平というスターを生み出した人間像 ②

Part1では、大谷翔平選手の性格を中心に人間像の一部を炙り出してみましたが、一般的なプロフィールもあらためて紹介したいと思います。

大谷翔平選手のプロフィール

大谷選手は、岩手県奥州市にて1994年7月5日に生まれました。
血液型はB型で、「プロ野球選手と血液型に相関性はあるのか?」でも紹介し、故野村克也氏も生前言っていたように、プロ野球界で大成する可能性が最も高いと言われている血液型です。

小学校時代の大谷選手は、とにかくスポーツ万能だったようで、小学校2年から5年生まで水泳も習っていましたが、大会に出場して入賞するほどの実力だったようです。
また、高校時代の師である佐々木監督も、「トレーニングの一環で水泳をやらせているが、大谷は泳ぐのが本当に速い。水泳部のコーチもオリンピックを目指せると言っていた」と証言しています。

同時期の小学校2年生からは、水沢リトルリーグで野球を始め、全国大会にも出場しています。 小学校5年生の頃には、既に球速110kmを記録し、1試合で6回17奪三振という成績も残しています。 中学校時代は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場しました。

一方で、勉強はというと、こちらも小学校時代から成績優秀で、まさに文武両道の少年だったといいます。

大谷選手の身長ですが、現在公表されているのは193cmです。 実は家族もみな身長が高いようで、父親が182cm、母親が170cm、兄が187cm、そして、姉が168cmと長身一家です。
ちなみに、「目指せ!身長180cm」でも紹介したように、MLB所属のメジャーリーガーの平均身長は187.8cmですので、平均のさらに5cmも高いのです。 また遺伝身長の計算式によると、( 182 + 170 +13 ) / 2 ± 9 = 182.5 ± 9 = 173.5 ~ 191.5 となりますので、お兄さんはその範囲内にありますが、大谷選手はその上限をも越えてしまっています。

ここで、あらためて、この長身一家を紹介しますと、家族構成は、ご両親と兄、姉の5人家族です。

お父さんは、地元、岩手県の高校を卒業した後に、神奈川県の三菱重工の硬式野球部に所属しており、社会人野球の選手だったようです。 現在は、岩手県の金ケ崎リトルシニアで監督を務めています。

お母さんは、元バドミントンの選手で、中学時に全国大会で準優勝し、高校生のころには神奈川県の代表として国体に出場した経験をもっています。 高校卒業後に三菱重工のバドミントン部に入り、社会人選手として活躍していたようです。

お兄さんは、独立リーグ・高知ファイティングドッグスを経て、トヨタ自動車東日本硬式野球部に所属し、コーチ兼任で活躍しています。 東北代表として、都市対抗野球、全国大会にも出場した経験があります。

お姉さんは、高校時代までバレーボール選手として活躍していたようです。

男の子の運動能力は母親の遺伝が強いと言われていますが、ご両親ともに身体能力が高く、スポーツ一家な環境もあって、末っ子である大谷翔平選手が小学生からスポーツ万能であったことも納得できます。

さて、中学を卒業してからは、ご存知の通り、同郷の花巻東高校のエースであった菊池雄星選手に憧れ、同校へ進学しています。甲子園にも出場し、プロ野球のドラフト会議で、日本ハムファイターズに1位指名を受け、高校卒業後に入団。その後、2017年にMLBのロサンゼルス・エンゼルスに移籍し、現在に至っています。

大谷翔平選手と「グロースマインドセット」

現在は世界的に注目されている大谷翔平選手ですが、彼の野球人生を振り返ると、決して順調なことばかりではなかったようです。

高校2年生の夏には骨端線損傷となり、治療に専念していた時期があります。

また、2017年、日本ハムファイターズに在籍していた時には、左ハムストリングス(太もも裏)を痛め、左大腿二頭筋の肉離れからシーズンも満足のいくプレーができず、同年には右足関節有痛性三角骨(足関節後方インピンジメント)除去術も受けています。

2018年、ロサンゼルス・エンゼルスに移籍した年、右肘の内側側副靱帯を損傷し、靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けています。リハビリを重ね、2019年に打者として復帰しますが、今度は左膝を故障し、左膝蓋骨の手術(二分膝蓋骨)を行い、全治まで約3ヶ月かかっています。

2020年には投手としても復帰しますが、右屈曲回内筋群の損傷となり、投球再開まで4~6週間と診断されます。そのため、同年中の復帰登板は絶望的となりました。

2021年には、二刀流として一躍スターの階段を駆け上り、世界中にShohei Ohtaniという存在をアピールし、MVPも受賞しましたが、実は多くのケガと闘ってきているのです。

このような状況を振り返って、大谷選手はこう言います。
「悪い時にどうするかが一番大事」と。

こういった思考法について、専門家は、
「これは、発達心理学の世界的な権威であるスタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授が提唱した『グロースマインドセット』というもので、壁にぶつかったときにそれを挑戦や学びとして肯定的に受け止め、困難にも立ち向かえるしなやかな心を指します。
近年はビジネス界でも注目されており、“激変する世界の中で生き残るには、社内の人材にグロースマインドセットを浸透させることが最も重要”といわれています。
失敗を恐れたり、困難にひるんだりすることなく、大舞台で伸び伸びとプレーする大谷選手は、典型的なグロースマインドセットの持ち主です」と言います。

「グロースマインドセット」と家庭環境

では、こういった前向きな考え方を生んだ家庭環境は、いったいどのようなものだったのでしょうか。

大谷選手は18才まで岩手県水沢市で生活してきました。 水沢市は、積雪量が少なく、冬でも比較的暖かい穏やかな気候の土地です。

このような生活環境のもと、前述したように父は社会人野球の選手、母はバドミントンの選手、兄は野球選手で、姉はバレーの選手と身体能力に恵まれている家庭で育っています。

近隣の住民によると、お母さんが健康管理に気を使っていたのが印象的だったようです。特に食べ物は、母親自身も運動をしていたためか、市販のものを出すことはなく、いつも手作りにこだわっていたようです。 また、スポーツ一家で全員が体が大きいため、ギョーザは10人前以上を手作りしていたといいます。

食事中には、両親は「もっと食べろ」とか、「好き嫌いをするな」とうるさく注意することはなかったとのことです。 大谷家はおおらかなお母さんを中心に温かい家庭で、母親が大切にしたのは、とにかく楽しい雰囲気をつくって、みんなでワイワイと食べることだったようです。 休みの日にはホットプレートを使った食事にし、家族で料理をつつき合うのが定番だったと言います。

そんな家族の憩いの場は、2階建ての自宅の1階にあるリビングだったようです。
大谷家は玄関からリビングを通らないと自分の部屋に行けない造りとなっており、子供たちは皆リビングでご飯を食べ、勉強をし、ソファで寝転んでいたとのことです。

大谷選手も2階に兄と共同の部屋がありましたが、そこはほとんど使わず、自宅にいるときはずっとリビングにいて、ソファでそのまま眠ってしまうこともあったようです。

こうした大谷家のルールは、「安心感」と「主体性」を育むのに最適だったと思われます。

専門家はこの家庭環境についてこう言っています。

「子供の成長で重要なのは、自分が無条件で受け入れられていると実感できる『心理的安全性』を手に入れること。大谷家のリビングでの光景はこれにあたります。
加えてソファで寝落ちしても起こさないことにも教育的な意味があります。
ソファで寝ると充分に眠れず、それによって翌日の学校でつらくなることも、子供が身をもって体験することで自らの行動を改めるきっかけになるのです。
最近の親は、なんでも先にお膳立てをしがちですが、主体性を育むには、子供自身が体験して気づくことが大切です」と。

また、父親は大谷選手の所属するリトルリーグの監督を務め、練習中は厳しく指導しましたが、家で息子を叱ることはほとんどなかったようです。

寛大で子供の自主性を何より尊重したご両親が唯一、決め事としていたのは「子供の前で夫婦げんかをしない」ことだそうで、母親は『夫婦が言い争いをすると家庭がどんよりして、子供たちが親に気を使うようになるから注意していた』と語っています。
もちろん、時には言い争いもあったそうですが、たとえ夫婦げんかになったとしても、絶対に長引かせないようにしていたとのこと。
これも子供の能力が開花するうえで大きな意味を持つようです。

専門家は、
「子供は目の前で夫婦げんかをされると心理的に落ち着かず、親に遠慮がちになります。  逆にいつでも親と安心して話せる穏やかな家庭なら、ありのままの自分をさらけ出せ、自己肯定感が高まります。 家庭環境こそ、大谷選手のグロースマインドセットのルーツでしょう」といいます。

このように、大谷翔平選手の成功は、家庭環境が大きな要因でもあるようです。
(参照:https://www.news-postseven.com)

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。